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『のびのびBOY』、のびのびTALK (3) [PS3]

頭の中をからっぽにしてしばらくBOYを操作しているうち、『のびのびBOY』というゲームは自分の内面変化を楽しむツールなのではないか、と思い始めた。オーバーだが、突き詰めれば悟りが開ける可能性もなくはないw。

キャラクター形状が特殊なため操作に慣れを要する『のびのびBOY』だが、頭と尻尾を思い通りに動かせるようになると、自分の指先とBOYが同化しているような錯覚に陥る瞬間がある。

この鍛錬を重ねて意識的に同化できるようになればしめたもの。

並んでる木に胴を引っかけて「Σ」みたいな字を作る、といった思いつきを試してみるのも意外と楽しい。

あるいは、胴を伸ばしてオブジェクト類を引きずるように動かし、どこか一か所にきれいに並べる、といった生産的活動に励んでもよかろう。

内面に芽生えた向上心によってこうした活動を行うだけでなく、負の向上心にまかせて非生産的活動を繰り広げるのもプレイヤーの自由だ。

日頃の憂さを晴らしたいなら、フィールド上で破壊活動に専念するもよし、オブジェクト類を巻きこみながらフィールド端から落下して無理心中(?)を図るもよし。悪の限りを尽くして大暴れするのも一興だろう。

ただ、いくら破壊活動を行ったところでオブジェクト類は再生するし、投身自殺(?)をしてもすぐにBOYは蘇ってしまう。こうしためくるめく輪廻転生を目の当たりにしていると、「破壊と創造」に連続性を感じて自分の破壊活動が虚しくなってしまったりもする。

踏みつぶす、捕食するなどどんなひどい仕打ちをしても、なついてくる動物たちを見ていると、自分の度量の小ささを思い知らされたりもする。

そして、幼児が意味もなく積み木や人形を投げ飛ばし、部屋をとっちらかしたりする(大人から見れば破壊的な)活動が、実は創造的活動だったりするのではないか。幼児なりの目的を果たすための行動なのではないか。とか、思いもよらぬ方向に考えが及んでしまうのだ。

一般的にゲームは制作者の掌で遊ばされるものだが、『のびのびBOY』の場合は制作者の脳内で遊ばされているような不思議な感覚を覚える。

普段考えもしないことに思いを巡らすトリガーとなる『のびのびBOY』は、密かに哲学的なゲームなのかもしれない。

【完】
PlayStation 4 ジェット・ブラック (CUH-1200AB01)

PlayStation 4 ジェット・ブラック (CUH-1200AB01)

  • 出版社/メーカー: ソニー・コンピュータエンタテインメント
  • メディア: Video Game

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